新型コロナウイルス対策について(不安を軽減するために)

新型コロナウイルス対策について(不安を軽減するため)

 

 

 新型コロナウイルス感染症の拡大で多くの国民が不安を感じています。不安というのは一人ひとり感じ方や強度が異なりますが不安の強度が増すと恐怖を感じます。安全、安心、不安について、私の著書である「JISQ45001JISQ45100対応マニュアル」(以下「対応マニュアル」という。労働調査会発行)の第7章「危険性又は有害性等の調査の方法」の(5)「安全・安心、危険・恐怖について」の項(206頁)をで次のように述べています。

 

マズローの欲求5段階説では、第2段階の「安全の欲求」は苦痛、恐怖、不安、危険を避け て安心・依存度を求める欲求であり、この安全欲求は安心のことである。しかし、安全を確保しても、必ずしも安心が得られるわけではない、との説明がある。

前述したとおり、安全も危険(リスク)も確率論であり、正確に確率できるかは別として、 一応客観的に判断しうる。つまり評価ができる。一方、安心も不安も恐怖も心の中に生ずる現象で、人それぞれ感じ方が違う主観的なものである。つまり評価ができない。 確かにマズローの言うことも一理あるし、「安全なくして安心なし」という言葉もあるが、 安全であっても不安・恐怖を感じる場合もある(例、閉所恐怖症、高所恐怖症、バンジージャ ンプ、風評被害など)。逆に、実際は危険であっても安心感がある場合もある(例、喫煙、飲酒、 薬物依存、高名な医師による難度の高い手術など)。

また、安心と不安は知識量と非線形(注)の関係にあるといわれている。何も知らなければ不安を感じることはまずないが、何か少しでも知識や情報が入ると不安は急速に増すのが一般的である。

 いわゆる恐怖や不安の概念は、知識の量を上げていくと不安が高まり、あるピーク(恐怖)を超えると不安感は下がっていく。しかし、パーフェクトに知識量を高めることはできないので完全に「不安ゼロ=安心」とはならない。例えば、福島第1原発事故で汚染された地域が除染され避難解除となり、人間が通常の生活ができるようになったとする。勉強して放射線の知識が高まり安全だと理解して帰宅したとしても、不安はなくならない。逆に放射線についての知識が少なければ不安のままで帰宅しない、ということになる。

 一般には産業安全衛生活動において、安心、不安、恐怖という概念を持ち込むのは客観的でなく、できるだけ確率、統計を用いたリスクアセスメントの手法を取り入れた安全対策=危険防止対策(リスク低減措置)を行うべきである。 ただし、不安は安全活動には有意義なものでもある。「臆病者と言われる勇気を持て」とは JALの松尾(初代)社長の言葉である。「臆病者と言わない社風をつくれ」はカンタス航空の社是である。危険予知も、リスクアセスメントも不安(危険感受性)を大切にし重視する活動でもある。従業員や部下に不安を与えないよう安全衛生管理活動に力を入れるとともに、「リスクは必ずある」、「事故は起こるかもしれない」という意識を植え付けるために普段から安全衛生教育を行う必要がある。

(注)非線形:直線ではないこと。曲線、放物線、波線等いろいろある。』

 

 この「対応マニュアル」は、労働安全衛生法第60条、労働安全衛生規則第40条に基づく職長教育を行う講師(トレーナー)のためのサブテキスト(副読本)の位置づけであるので、あまり詳しく丁寧には記載されていませんが、概ね安全・安心等の概念を説明しています。しかし読み返してみると若干舌足らずで不十分なところがあります。それは、文中のゴチック体の部分です。

 

 確かに、何も知らなければ不安を感じませんし、多少の知識が入ると不安は急速に高まりますが、それだけではありません。知識を得たいと思っても情報が少ない場合や、情報にフェイク(嘘)が混じり、何が本当か否かが分かりにくいときに不安を感じます。また、自分が想定(期待)していることに反する事態が生じたり、生じるおそれがあるときも不安を感じます。

 例えば今回の新型コロナウイルス感染症対策をみても、感染症の感染力(飛沫感染接触感染、エアロゾル感染であり空気感染はしないと思われる)や重篤度(危険性)は高齢者や有基礎疾患者にとってよりリスクが高い、等々の情報は分かっているのですが、現段階で有効なワクチンが未開発、有効な治療方法や薬もない。どこに感染者がいるのか分からない、感染者か否かのPCR判定を簡単にしてくれない。一旦陰性と判断されても再度陽性となることもある(抗体ができにくい?)。マスクや消毒薬等が手に入らない、満員電車に乗らざるを得ない。デスクワークでないのでテレワークも難しい等々の様々な要因が不安を高めています。PCR検査結果を示さないと簡単に会社や学校等を休めない、であるのに検査してくれない。ということ等が程度の差がありますが多くの国民に不安を与えています。

 

 それにしても政府、厚労省、保健所の対応のまずさは国民の不安感をより高めています。例えばPCRの検査ですが、基本的にはDNA(遺伝子)検査の一つであり、コロナウイルスのDNA情報(公開されている)とコロナウイルスの遺伝子が増える際に光を放つ検査試薬(プローブ)があれば、多くの民間のDNA検査機関でも検査ができるのです。

 DNA検査は、大学病院だけではありません。理学部や工学部に検査機械を設置している大学もあります。各都道府県にある科学捜査研究所(科捜研)も当然行えます。日本にある民間の検査機関も含めれば、検体の検査処理件数はおそらく韓国の比ではないと思われます。

 厚労働大臣は誰の進言を聞いているのか分かりませんが、民間の検査機関について信用していないためか、その利用をあまり前向きに考えていないようです。

 しかし、医師が検査が必要だと判断したら容易に検査できる体制をすぐ整えるべきです。但し現在は検査費用は全額国庫負担であるので国も躊躇していると思われます。健康保険適用で1~3割の本人負担を求めても、多くの国民は納得すると思われます。なお、健康保険未加入者や検査費用を支払うことが困難な貧困者、外国人等には別途支援・補助対応をすべきです。でないと、場合によってはこれらの人達が感染を広げることも予想されるからです。

 

 なお、2月26日の朝日新聞デジタルでは「新しい検査機器は、産業技術総合研究所が開発した遺伝物質の増幅を早める技術を使い、検体の処理を含めて約30分で結果が出せるという。持ち運べる大きさで、最大4人分を同時に検査できる。価格は1台数百万円という。」という記事を配信しています。人の命は地球より重いのです。国は補正予算を使ってでもこの検査機の増産、政府としての購入、検査機関への無料貸し出し・配布を行い、検査体制の充実を図るべきです。(なお、2月27日のTBSの昼オビで田崎コメンテーターが「この検査機械は外国のものですぐに輸入できない」旨の発言をしていましたが、産業技術総合研究所経産省関連の独立行政法人で、つくば市にあります。フェイク発言は厳に慎むべきです。)

 

 陰性であることが早期に分かることで、「安心」します。逆に陽性なら、他人に感染させないよう今以上に行動に慎重になるでしょう。陽性と判定されたら会社も学校も気兼ねなく休めます。政府は国民を不安から少しでも解放するよう全力を挙げるべきです。

 ここで私の「対応マニュアル」の補強を行います。同マニュアルでは、「あるピーク(恐怖)超えると不安感は下がっていく。」と述べていますが、不安感を軽減させるためには、前述したとおり、正確な情報、合理的で納得できる情報をいかにたくさん得るかにかかっているかによります。フェイクニュースは徹底して押さえ込み、否定する広報も行う必要があります。

 

 次に2月25日に発表された「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」(以下「基本対策」という)について述べます。同基本対策では小規模患者クラスター(集団)という言葉を使用しています。もともとクラスター(cluster)は、花やブドウなどの房の意味です。肺炎を起こすのは小さな肺胞が感染症で破壊され肺呼吸が困難になる病気ですが、これも1個の肺胞ではなくいくつかの肺胞の集団(クラスター)で起こる症状です。

 クラスターといえばクラスター爆弾が思い出されます。大きな爆弾の中に小さな子爆弾を詰め込み、親爆弾の破裂で子爆弾が広範囲に飛び散るというものです。クラスター爆弾に遅発地雷等を組み込むことと不発弾が多いことから、戦争や紛争が終わっても子供達に甚大な被害を与えます。ために、あまりにも非人道的だということで2008年に使用禁止条約が採択されましたが、日本は米国と同様批准していません。

そういう状況であることを政府は十分に承知の上で、小規模集団感染という単語ではなくクラスターという単語をあえて使用しているのは、言外に多大なる被害を想定しているのかと勘ぐりたくなります。

 

 それから、基本対策では、早期に発見し早期に対策を講じるというのではなく、軽症者は基本的に自宅待機が原則。重症者に対してのみ対応策を図る、というものと思われます。その徹底のため、現行では「感染症法に基づく医師の届出により疑似症患者を把握し、医師が必要と認めるPCR検査を実施する。」となっています。しかし実態はほとんどこのとおり実施されていません。にも関わらず、今後は「まずは、帰国者・接触者相談センターに連絡いただき、新型コロナウイルス感染を疑う場合は、感染状況の正確な把握、感染拡大防止の観点から同センターから帰国者・接触者外来に誘導する。」そして「帰国者・接触者外来で新型コロナウイルス感染症を疑う場合、疑似症患者として感染症法に基づく届出を行うとともにPCR検査を実施する。必要に応じて、感染症法に基づく入院措置を行う。」

 つまりPCR検査に至るハードルが上げられて、医師の判断ではなくセンターという入口で軽症者は検査のチャンスがふるい落とされ、再度帰国者・接触者外来でも篩にかける、というシステムにする、ということです。

 これでは、ふるい落とされた人やその周りの人はさらなる不安を感じざるを得ないでしょう。もしパンデミック(大流行)に近づいたら、不安が恐怖に変わりパニックや暴動を起こすかもしれません。


 一番大事なのは、疾病対策の基本である「早期発見、早期治療」の原則に戻るべきです。政府は検査のためのハードルを上げるのではなく、医師の判断で必要と考えるなら直接検査機関にPCR検査を依頼できるようにし、まずは患者さんの不安を解消することに最大限の力を注ぐべきです。軽症者や未発症者からの意図しない感染をまず防ぐことです。それが感染拡大を阻止する基本です。


 また、アビガンやレムデシビルの治験を行い始めたとの情報がありますが、緊急事態ですので、重症者だけでなく軽症者にも、そして治験実施機関も限られた機関だけではなく全ての医学部、医大等で広範囲に行い、その途中経過も含めデータを公開すべきです。市中の医師は治療のための情報をのどから手が出るほど欲しがっています。

 

 次に高齢者や有基礎疾患者等重篤な障害を起こすリスクの高い人、すでに重篤な状況となっている人に、十分な検査、診療、治療体制を早期に充実させるのです。新型コロナウイルス感染症は空気感染しないようなので、必ずしも陰圧の感染症対策の病室に入れる必要はないとされています。

 昨今の医療改革(改悪?)で一般病院のベットの空き数が増加しています。必要なら、病院を借り上げて、感染者を隔離し集中して入院・治療を行う権限を知事あるいは政令都市の首長に与える政令を出すことも検討すべきです。

 大事なことは、これらの対策、方針を広報し、自分の症状からどうすれば十分に対応してもらえるかをしっかりPRすることが安心につながりパニックを起こさせない秘訣です。その意味でこの政府の基本方針は安心を与えない不十分なものということができます。 

 

 2月25日の報道で、全国知事会の代表が、PCRの検査や個人情報の発表等を含め各県の対応がバラバラだ。政府として統一的な対応基準を示して欲しい、との要望を行ったということです。国としての一定の基準が示されることはそれに越したことはありませんが、知事も自分の都道府県の住民に対して、その命と健康、安全を確保する義務があります。

 日本人は、とかく「上から指示されていませんので」とか「基準には該当しないので」と、実施しないことの理由に、上からの指示、基準を持ち出しがちです。

 各首長や知事は、国からの指示や基準はあくまでも原則、最低基準と割り切って、もっと改善の余地はないか、これで患者さん(住民)に満足させられるか、満足までとは言わないが不安を解消できるか、安全を保てるか、感染を防ぐことができるのか、という観点に立って、より高い判断、決断をしていただきたいと思います。それが真のリーダーシップです。
 また、交通機関や多くの人が利用し、集まる機関や組織(会社を含む)のリーダーも、お客様、社員等ステークホルダーにとってどうしたら安全、安心を与えるのか、政府だけに頼らず自らリーダーシップを発揮していただきたいと思います。
      2020年2月27日  白崎淳一郎のBlog